ヒツマブシでヒマツブシ

とある人との出会いで、今の自分が自分らしくないことに気づかされました。ちゃんと自分らしく生きたい。

いつもひょんな話から、話のタネが食べたくなる

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職業訓練のお昼休み、クラスメイト女子が昨夜の晩御飯が餃子だった話をした。

途端たまらなく餃子が食べたくなって、午後からは餃子のことしか考えられなくなった。

食べたいと思ったら、もう餃子を食べることしか考えられないのはどうしてだろう。

 

いつだったか職業訓練の講師の先生が、『胃ろうを造設している高齢者の方で、どうやったって固形物を食べられる能力はもう残っていないのに、焼き肉が食べたい食べたいと言っていたことがあった』話をしてくれたことを思い出した。

 

焼き肉食べたいのにもう食べられないなんて考えただけでも泣きそうだけど、病気や状況によっては自分もまたいつ食べたいものが食べられなくなるかなんて分かんない。

私は本当に食いしん坊なので、これから先一生そうなってしまうなんてことになったら一体どうなっちゃうんだろうか想像もつかない。

今のうちから断食の癖をつけておくべき?なんて飛躍的なことを考えてしまう始末。

 

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餃子は美味かった。

そう、昨夜のうちのご飯は餃子だった。

すでに餃子脳になった自分の思考を変えることが出来ず、でも職業訓練後に買い物に行って餃子の材料を買い込んで餃子を作るといった時間は到底なかったため、美味しいと評判の餃子の専門店で生餃子を買って帰った。

 

餃子は美味しかった。プリプリ、サクサク、アツアツ、ジューシーだった。

今もこれを書きながら思い出したらまた食べたくなった。

昨夜は焼き餃子だったけど、今度は水餃子が食べたい。プリプリ、アツアツ、ジューシー、ウマウマなやつ。

 

この間施設ボランティアに行った時の夕食は『イカと大根の煮物』だった。

それはとてもいい匂いがして美味しそうだったけれど、隣に座っていた高齢者の方はイカは苦手だったらしくきれいに残していた。

大きな集団での介護には、介護そのものだけでなく食事の好き嫌い対応にも限界がある。

アレルギーでもなければ、嫌いなものでも出されるところが多いんじゃないだろうか。

 

一度しかない人生、好きなものを食べて食べられなくなったら自然に死んでいきたい。

 

『その人らしい生活』とか『尊厳』って一体なんなんだろう。

 

ある社会福祉士の方が言っていた言葉を思い出した。

 

〝その爺さんはスーパードライ片手に、三度の飯より好き大好きな釣りをしながら、ズボンをオシッコで濡らしていたけど、人生を思い切り楽しんでいるんだなと思った〟

 

私も、爺さんは爺さんなりにいい生活をしているんだなと思ったけれど、介護を学ぶとそんなふうになれないのはどうしてだろう?と、餃子を頬張りながらちょっと考えた。

 

 

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